2010年2月15日、祖母の岩田貞善が天寿を全うしました。
82歳でした。
岩田貞善、と書いてみて一番違和感があるのが自分。
ばあちゃんの本名を葬式で初めて目にしました。
「ばあちゃん」という言い方も違和感があって、
韓国式に「ハンムニ」という呼び方がとてもしっくり来てます。
「貞善」というのは、いわゆる韓国名で、日本名はたしか京子。
しかも、この一族はしょっちゅう名前を変えているので、
もはや名前がIDの役割を果たしていないのです。
ということで、自分にとって貞善さんは
どこを切ってみても「ハンムニ」だったりします。
ハンムニは10代の頃に、韓国の慶尚南道の馬山から
弟の手をとって京都の四条大宮あたりに移住してきました。
誰かのツテがないとそんなことができるようには思えないのですが、
親を韓国に残して日本に出稼ぎに来る、
その時代では当たり前のことだったようです。
早々に祖父と結婚し、
20歳で長男、22歳で長女(うちの亡き母)、次女をもうけました。
そして、うちの母が22歳で兄、24歳で自分を産んだこと考えると、
この時代の人のそれには本当に頭が下がります。
祖父は染物工として、アーティスティックでありつつ、
商業的にも財をなし、上桂に居を構えたのが40代。
ハンムニはそこでキムチを漬け込んだり、チジミを焼いたり、
桂川の畔の畑を耕したりといわゆる韓国人のオモニ的な生活、
そして40代後半からはハンムニ的な生活をしていたようです。
ハンムニとの思い出は、おそらく自分が4歳か5歳の頃だったでしょうか。
箕面に連れて行ってもらい、もみじの天ぷらを食べさせてもらったことです。
当たり前のことですが、その頃のハンムニが
一番生気に溢れていた形で記憶されています。
2歳くらいのときに韓国の馬山に行った写真が残っていますが、
もちろん自分の記憶には残っていません。
八瀬遊園にもよく行ったかなー。
オイタをすると「アイゴーイヌムーチャシギ」と言って
嘆かれたのをよく覚えています。
「あーもう、このクソガキ!」みたいな意味らしいですが、
韓国語でカンサハムニダより先に覚えたのが「クソガキ」だったとは。
普段は日本語を話すのですが、夫婦喧嘩をするときは韓国語。
祖父との夫婦喧嘩はほんとよく目にしました。
ただ、祖父が一方的に怒鳴りつけるだけで、
ハンムニは真綿のように受け止め、そして嘆いているのが印象的でした。
そもそも韓国語の嘆きって、最高に嘆かわしいし。
必要以上に何かを志す、という生き方ではなく、
みんなを無意識に甘えさせ、とても慈愛に満ちて、
懐の深い、海のような存在の人。
母の、ど真ん中母たる人。
菩薩のような人。
与え続ける人。
そんな人だったように思います。
本当のところ、女性として、妻として、母として、ハンムニとしての貞善さんが
何を思って生きていたか、今となっては知ることが出来ません。
それもまあ、興味深いところではありますが、
そんなところを知ったところで、自分の中にあるハンムニが変わるわけでもなく。
ハンムニ、ありがとう。
チャシギだったけど、なんとか自分で納得の行く人生を送っています。
全部、ハンムニのおかげです。
しばらくはゆっくりしてください。